『溺れてるときに掴んだワラを、掴んだと認識できるか』みたいなどうしようもない話。

 

 

経営の指標を表す用語のひとつに「LTV」というのがあるんです。

 

lifeTimeValue

の頭文字ですが「顧客の生涯価値」とかって訳したりします。

一人の顧客が、どれくらいの頻度で、いくらくらい使って、というのを、どれくらいの期間、継続してもらえるか。

ということがわかれば、商売のうえで役に立ちますよね。

 

で、そういう指標です。

 

でも、これって残酷な言葉だと思いませんか?「生きている時間の価値」ですよ。苦しい、私はもうこんなの考えただけで苦しいです。

別に誰に言われたわけでもないのに、お前は無価値だ、と言われているような気分です。

 

いや、まぁ、そういう指標じゃないのはもちろん承知しています。

とはいえ、

なんでもかんでも数値化して見えるようにしたら、それでいいってわけじゃないと思うんですけどね。

 

 

 

さて、

 

『溺れる者は藁を掴むっていうことわざあるでしょ。

 あれは合ってはいるけど、私は《溺れる者は藁しか掴めない》の方が正しいんじゃないかと思ってるの。

 本当は助け上げてくれる力強い腕が良いに決まっているけど、苦しくて闇雲にもがいているから、

 本当に強い腕を持っている人はそんな人には関わりたくなくて、掴まれる前に手を引っ込めてしまう。

 だから沈みかけている人間のそばには役に立たない藁くらいしか浮いてない。

 

 でも世間が冷たいって言いたいわけじゃなくて、当たり前のことなんだよ。

 誰だって溺れている人間に手を掴まれれば自分も溺れてしまうと恐くなって手を離す。

 結局は自分自身にしか頼れないというのは、

 せち辛いわけでもさびしい世の中だってことでもなく、単純で当たり前の事実でしかない』

 

 

綿矢りさ著「ひらいて」より。

 

ではまた。