Archive for the ‘Iwasaki’ Category

溺れてないのにワラをも掴んだ僕たちは。

フローレンス・ナイチンゲールさんは、浅学非才な私でも知っている戦場カメラマン、ではなく戦場看護師さんです。

いわゆる、白衣の天使さんですね。

 

そんなナイチンゲールさん、戦場看護とか調子のいいことを言っていますが、戦地に赴いたのは二回だけです。

こういうことを書くと、また偉人を小バカにしているみたいで、またぞろいつものが始まったか、と思うコアな読者はいないにしても、ネタ作りがパターン化しすぎな感があります。

とはいえ、そんな小言を何とも思わないナイチンゲールさんご本人は、その二回の戦場看護を、自分が人生でなしたもののうち、もっとも小さいふたつだったと語っています。

 

なんなの、その寛容な姿勢。そして、謙虚な態度。

好感度爆アゲ過ぎて、もはやあざといレベルです。

ふむ、どうしたものか。いつまでも偉人をいじってるようではさすがに芸がないです。

 

 

そんな私は、もはや最近乗りすぎて何度目の往復なのかもわからない田園都市線の車内でブログをこしらえています。

赴くのはナイチンゲールさんと同じように戦場ですが、ナイチンゲールさんの言う戦場看護よりもはるかにしょうもないです。

今もそうですが、他のことをしていないと気持ちが落ち着かないようなときは、ブログを作ることが多いです。

だいたい書き進みませんし、多くの場合下車するときにボツとして消されます。

 

大概がしょうもない話ですから、ボツになる話は、それこそしょうもないです。

渾身の出来、みたいなのはほとんどありません。というか、ありません。

 

 

このブログが上がっているということは、きっとそれはそれ、なにかしらの要素があったんですよ、たぶん。

 

 

ではまた。


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対立構造と耐震補強。

 

『お金を稼ぐためだけに働くって、人間の精神構造上、無理なのかもしれない。

 会社の意向や、自分のなかに生じる慣れや惰性。

 ただでさえ、いろいろ折りあいをつけなきゃいけないことが多いのに、職場の人間関係にも楽しみがないなんて。

 なにを支えに働けばいいのか、見失ってしまいそうだ。』

 

三浦しをん著『舟を編む』より。

 

 

企業をいちいちブラックだホワイトだと二極化させたがる最近の風潮には正直うんざりしています。

 

仕事って、すべからく辛いもので大変なものだと思いますし、その逆もまたしかり、というか生きてりゃいいことも悪いこともあって、その要因として仕事がどんな役割を果たしたか、で経過も結果も変わってしまいます。

 

色で分けたがるのも、古くからの差別的意識の賜物で、あまり好きになれない理由のひとつです。

 

 

とはいえ、特に日本人はその帰属意識の高さから、二極化の対立構造を作りたがる傾向が強いです。

なんなら、そういうのがやたらと大好きな人もいますよね。

 

猫派と犬派

コーヒー派と紅茶派

夏派と冬派

 

私は正直どうでもいいですが、そういうどうでもいいみたいな発言をまるで許してくれない人も一定数います。

 

どっちもそこそこ好きだし、どっちもそれなりに嫌い。

こういうこと言ってると、つれないやつだな、と言われてしまうわけですが、それは実際そうなので仕方ないかなと思います。

 

 

大型連休前は気持ち的に揺らぎます。

だからなんだというわけでは、もちろんありませんが。

 

 

 

ではまた。


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混ぜるな危険。

『聖なる教は一つの学である』

―「神学大全」より。

 

 

1200年代中盤に活動していたトマス・アクィナスさんはスコラ哲学の分野で信仰の論証をしようとしました。

スコラ哲学といえば、「哲学は神学のはしため」という言葉にもあるとおり、哲学が神学を志すにあたって価値のあるものだという考え方を基軸にしています。

 

で、冒頭の一文。

と、いきたいところですが、前回私が哲学の話を放棄しただけでなく、今回アリストテレスの話をぶっ飛ばして1000年以上時を進めてしまったことについて、文句のあるハードコアな読者の方がいましたら、是非とも声をあげていただきたいものです。

 

 

さて、とにかくアクィナスさんはキリスト教を定着させたいがために、信仰をとおして、哲学のなんたるかを教えて回っていたわけです。

そんなアクィナスさんはキリスト教の大前提として「神様はいますよ」ということを様々な著書で一生懸命示しています。いわゆる、神の存在証明です。

この証明にあたって、アクィナスさんはアリストテレスさんの「不動の動者」という考え方を採用しています。

(アリストテレスきたー!)

不動の動者とは、すべての物事にはかならずその原因があって、原因をずっとたどっていったら神様にたどり着くじゃん?

というなかなか無理筋のぶっ飛んだ理論です。

(アリストテレスさんの話難しすぎ)

 

とはいえ、アクィナスさんはこうして、哲学を用いて宗教の教義を統一し、人々に定着させようと尽力しました。

 

大事なことは、これまで紹介した古代ギリシアのよく生きる哲学が、時を経て中世の時代には神学、というか宗教の概念のなかに飲み込まれてしまった、ということです。こうして、哲学がどんどん一般人からかけ離れていくわけですよ。あまり宗教に傾くと私も取り扱いづらいです。

 

 

中世の哲学は次第に「王権神授説」とかいう読んだだけでぶっ飛んでることがわかる方向に進み、そこから学生時代にも確かに学んだ「社会契約説」へと発展していきます。

 

 

ではまた。

【参考:読まずに死ねない哲学名著50】


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君の名はアナと雪の女王。

ありのーままのー。

 

 

はい。

 

 

繁忙期です、いわゆる。

最近は、哲学にふけっていましたが、実際のところ哲学にかぶれている暇はありません。

繁忙期です、いわゆる。

 

 

待て待て、ブログはいいのか?と思ったそこのアナタ!

ん?そこにいますか!?

大丈夫、ブログは別バラです!!

いや待って、本当にそこにいますか!?

そこにいるならお願いします、ほら、なんか、「読んでるよー」って。

もう書く気力が湧いてきません!(笑)

笑い事じゃありません!(笑)

本当にもう、誰が読んでるっていうんですかね。。。

 

 

君の名はーっ!!

 

 

はい、少し取り乱しましたね、ごめんなさい。

 

 

さて、このブログがいつあがるのかはともかく、私は日曜が月曜に変わった午前2時のテンションでお送りしています。

早く寝ないと!

 

 

そんな日曜の夕食はスパゲ(ry

パスタでした。

今日は哲学とかやりません、日常のブログです。

 

で、パスタの話。

ボロネーゼってやつがあるんですよね。クリームソースみたいなわかりやすい名前ではないやつです。そう、ボロネーゼ。

 

ナニモノ?ボロネーゼ。

 

で、店員さんに聞きました。ボロネーゼってなんですか?って。

『挽き肉とトマトを煮込んだソースです』って!さすが店員さん!

 

え?待って待って!こっちにあるミートソースは?

『挽き肉とトマトを煮込んだソースです』って!!おんなじかよっ!!

 

ボロネーゼとミートソースは何が違うんですか?

『いやぁ、ちょっとわかりかねますぅー』

じゃないよ!なんだよ「ますぅー」って!!

 

ん?じゃあ、この牛肉のラグーソースってやつは?

『それもぉ、牛肉とトマトを煮込んだソースですねぇ、おかしいですねぇ』

おかしくないよ!笑えないよーっ!!

全部おんなじじゃんかよーっ!!!

 

 

ボロネーゼはミートソースでラグーソースですが、ミートソースもボロネーゼでラグーソースです。

みたいなっ!アガガガ…。

 

 

君の名はーっ!

 

 

はい。

きれいにまとまりましたね。

おやすみなさい。

 

 

ではまた。


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春も立ちます。

『ある日、羊飼いのギュゲスは、羊たちに草を食わせているとき、黄金の指輪を見つけた。

指輪を身につけて、玉受けを回したところ、自分の姿が透明になることがわかった。

そこでギュゲスは、その指輪を使って国王を殺し、王権を手に入れた』

―「国家」より。

 

 

ソクラテスさんの弟子のプラトンさんは、本当にたくさんの著作があって、いろいろなお話が残されています。まぁ、良し悪しやら善悪やらと「よく」生きることを追求する過程で、やはり「正義」という概念は欠かずことができません。

 

で、冒頭の一文。

これはプラトンさんが書いた『国家』の本文中で語られたエピソードトークです。ギュゲスなんていかにも悪そうな名前ですけどね。なかなか血なまぐさい感じです。ロードオブザリングに似てますね。

 

本文は以下のように続きます。

 

この状況で、最大の不正よりも正義選ぶ人、いる?正義選べる根拠、ある?

人にばれないように偽善者ぶってこっそり手に入れちゃえばさ、それだけで将来安泰でしょ?

 

たぶん、こんな感じです。もちろん、原文の通りではありません。これは原文のほうが伝わるかもしれません。ちょっと咀嚼しすぎました。日本語ではありませんが。

何が言いたいかといえば、誰にもバレないなら悪いことしちゃうよね、ということです。プラトンさんはこの話をとおして教育の重要性を訴えはじめます。良し悪しを判断させるよりも、自然に善を選ぶ方向に導くことが重要なのだ、というスタンスです。

 

バレなきゃ悪いことしちゃうような人を教育でなんとかしようなんて、若干弱すぎやしないかなぁ、と思わないではありませんが。でも、こういうことをあーでもないこーでもないと一生懸命考えたのはソクラテスさんやプラトンさんがはじめてだったわけですから、なんだかスゴいですよね。しかも紀元前。いわゆる例の神様もいないような時代です。

とはいえ、不正はダメです。正々堂々と正面から。はい、確定申告はおはやめに(笑)

 

 

で、この研究はプラトンさんの弟子、アリストテレスさんに引き継がれます。

とはいえ、アリストテレスさんはどちらかというと、プラトンさんはあんなこと言ってたけど俺は違うと思うなー、というスタンスです。

 

 

ではまた。

【参考:読まずに死ねない哲学名著50】


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「よく」生きることについて。

 

『魂ができるだけ優れたものになるよう、ずいぶん気を遣うべきである』

―「ソクラテスの弁明」より。

 

さて、今年もブログを書きます。

めでたいかどうかはこちらからは判断がつきませんので、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

ソクラテスさんは紀元前400年くらいに活動していた人です。

彼自信は何かを書き残したりはしていないみたいですが、弟子のプラトンさんがお師匠さんや、その他色々な人と対話をした記録をしっかりと書き残してくれています。

 

 

で、冒頭の一文。

「無知の知」といえば、私みたいな浅学非才な人間でも知っています。

自分が本質的なことを何も知らない、ということを知っている。

というような感じです。

ソクラテスさんは言いました。

 

あなたたちは金や名誉、権力のために自分が何でもわかっているような口ぶりで言うけども、私はね、自分が本質的なことを何もわかってないってこと、知っているよ?本当に大事なことは、魂ができるだけ優れたものになるように、人生に気を遣って生きることだよ。

 

たぶん、こんな感じです。もちろん、原文の通りではありません。原文だったらもっと伝わりません。日本語じゃありませんから。

いや本当、これだから哲学者はアレです。前にニーチェさんの話もしましたが、本当にアレですよ。

言ってることはわかりました。

よく生きよう。そうです、間違いない。

いやいや!だから!!それができないから、みんな間違えたり苦しんだりしているのじゃないのかしら。

でも、そうですね。ソクラテスさんも気を遣うべきだ、と言ってるわけですから、それが難儀だということはわかっているのだと思います。しかも「ずいぶん」と。

 

 

うーん、どうも納まりが悪いような気もしますが、言ってることはやんわりわかったのでオーケー。

とにかく、みなさんも今年一年「よく」過ごせるよう、是非とも「ずいぶんと気を遣って」がんばりましょう。

 

 

 

ではまた。

【参考:読まずに死ねない哲学名著50】


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三日坊主の三日天下。

『青空には、希望の象徴みたいなイメージがあるけど、青く見えるのも単なる太陽光の散乱で、地球全体から見たら薄っぺらな大気の層にすぎない。

 空をいくら昇っても天国には行けないし、どんなに高い塔を建てても天罰なんかない。神様が天上から見下ろしたりもしていない。

 救いを求める人がいくら空を見上げて、夢を託して、想いを馳せようが、ただの空気の塊でしかない。』

 

上遠野浩平著「私と悪魔の100の問答」より。

 

 

どーん!!年の瀬です。

あれ?効果音がおかしいですかね?

ばーん!!年の瀬です。

 

もうなんでもいいですね。

12月23日は平成の天皇様の誕生日にあたります。つまり22日は天皇誕生日イヴということで、今日から大盛り上がりということでしょうかね。

ちなみに、12月22日は「労働組合法制定記念日」です。

GHQに占領された日本が民主化していく過程でなくてはならないものとして制定された5大改革の一つです。

皆さんご存知でしょうから説明は不要ですね、私はよく知りません。

 

特定の神様を持たない無節操な日本人は、とにかくイベントとあれば大盛り上がりです。

年末年始、騒がしくなりますが、それで普通じゃないかな、と思っています。

ちなみにわが事務所は12月30日まで営業しております。

年始は1月4日から。

 

ではまた。

良いお年をお過ごしください。

 


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6日目の狩猟。

『「夢を叶えるために三十歳までにしておきたいこと」

ふと顔を上げると、中吊りの自己啓発本の広告が目に入った。 

夢を叶える?

この電車の中に夢を叶えた人が何人いる?「将来の夢は?」「大きくなったら何になりたい?」子どもの頃、大人たちから投げかけられる残酷な質問。けれど、その質問をした大人たちだって、夢を叶えた人はほとんどいないんだろう。だったら、なんで子どもに無邪気に聞くんだろう。まだ未来のある子どもなら自分の代わりに夢を叶えてくれるかもしれないと思うからだろうか。』

窪美澄著『さよなら、ニルヴアーナ』より。

 

 

私も、正直なところ夢とか言われてもピンとこないです。

今年も終わりに近づき、やり残したこと、みたいなことはたくさんありますけど、年内にやらなければならないほどのものではないような気がしますし、ましてや30歳までに、みたいな期限つきのものでもないような気がしています。

もうすでに30歳になってしまいましたし。

 

でも、夢を叶えたらそれで終わり、ということではなく、たぶんその先もなにがしか進んでいくわけですから、明確には叶ってるのか、よくわからない夢だってあるはずなんですよね。次々に生まれるものなら「目標」と言ったほうが表現は適格だとも思いますし。

そんな感じの本も紹介しましたかね、かつて。

 

ま、そんなに単純ではないですよ、と。

 

 

ではまた。


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君の名は桐島部活やめるってよ。

さて、11月8日です。

 

今年も残りわずか2ヶ月。

11月8日といえばあれです。

みなさんよく御存知の、ほら。

 

鳴くようぐいす平安京!

この新たな都が『平安京』という名前に決まったのが、11月8日です。

私はてっきり後づけで平安京って呼ばれてるのかと思ってましたが、当時から呼ばれていたんですね。名前があるというのは、存在が認識されているということです。

 

 

 

名前といえば、『君の名は』が空前の大ヒット。

このブログ読んでる数少ない方々はわかっていると思いますが、私は読む派なので小説版があったらいいなぁ、と。

と、思っていたらありましたよ、『小説-君の名は』。

いや、もう喜び勇んで買おうと手に取ったわけですが、、、平積みのポップに『映画とは異なるオリジナルラスト!』とか書いてあるんですね。

 

あれ、おかしいな、変だな、と、かの稲川先生のものまねをしながら思ったわけです。

 

何故、結末を変えてしまうのか。

これはもはや恐怖ですよ。結末が違ったらもう別の話です。だったら買いませんし、だったら読みませんよ、まったくなんてことしてくれた!!

 

なんてことしてくれた、と。

 

仕方ないから劇場に行きま、、、せんね。

激情にかられて劇場に行ったりしません。

え、あ、はい、寒いですね。

 

いや本当に、冷えてきました。

 

ではまた。


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ありか、なしか、で言うと、なし。

『今日は時間の話をしましょう。

 人と動物を区別したのは、火の発見であるとか、道具を使うようになったからであるとか、

 黒くて大きなモニュメントに触ったからであるとか、いろいろ言われてもいますが、

 人が動物に戻れなくなったのは、時間を気にするようになったからである、と言った人がいます。

 名前は忘れました。もしかしたら、私かもしれません。』

 

伊坂孝太郎著『陽気なギャングは3つ数えろ』より。

 

 

 というわけで、

今日は時間の話をしましょう。

 

 

すべての人が平等に享受しているのが時間です。

しかしながら、人によって感じ方や使い方が異なることもあり、この平等は機会の平等ではあっても、実質的な平等ではありません。

ここでひとつどうでもいいことをつけ加えておくとするなら、私が最近ブログを更新していないのは時間がないからではありません。

それとこれとは繋がってはいますが別問題です。

 

どうにか、平和的な最期を迎えたいと考えてはいます。

 

 

 

 

 

ではまた。


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